その曲。できれば目をつむって、耳に神経を集中してみてください。
サビを聴いて「おやっ?」と思いませんでしたか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150730-00000074-mai-soci
1970年代に活躍した英国の伝説的ロックバンド「レッド・ツェッペリン」のリーダーでギタリストのジミー・ペイジさん(71)が30日、44年ぶりに広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。ペイジさんは、80年に解散した同バンドのCDの発売プロモーションのため来日。被爆70年の節目として再訪を希望した。
【写真特集】ジミー・ペイジさん 原爆慰霊碑に献花
同バンドは71年の初来日時に広島市でチャリティーコンサートを開き、売上金約700万円を市を通じて被爆者に寄付した。当時、メンバーたちは「戦争を知らない私たちの心にも、人類が原爆を落としたことへの恥ずかしさがある」と語った。
2度目の訪問で原爆ドームも見学したペイジさんは、松井一実市長から原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の文言を世界に広めてほしいと求められ、「もちろんだ」と快諾。「前回と同じように謙虚な気持ちになれた。あの日から70年たつが、広島に原爆が落ちたことは全世界の人が思い続けている。平和を祈り続けていきたい」と話した。【田中将隆】
◇感動残した1971年公演
「彼らは広島に来るために日本に来ました」。名アナウンサーの糸居五郎さん(故人)の紹介でロックバンド「レッド・ツェッペリン」の4人が姿を現すと、観客約5000人の熱気は最高潮に達した。
1971年9月27日、広島県立体育館(当時)で開かれた「愛と平和チャリティーコンサート」。当時中学2年でステージ正面から公演を見た同県廿日市市のイベントプランナー、河村真作さん(58)は「平和を呼び掛けるだけでなく、実際に被爆地まで来てくれたことに感激した」という。
初来日したメンバーは、東京に次ぐ公演先に被爆地の広島を選んだ。山陽新幹線の開通前で、東京からは長時間を要した。「天国への階段」など14曲が披露され、興奮して舞台に上がった観客をなだめるため、メンバーが演奏を一時中断する一幕もあったという。
「4人の演奏に圧倒された」という河村さんは、コンサートを機に音楽の仕事を志し、今はフリーでライブイベントの企画などをしている。「被爆2世の友人も多く、当時は原爆被害がリアルに感じられた。ジミー・ペイジは復興への勇気を与えてくれた。再訪は『広島を忘れてはいない』という大きなメッセージになる」と喜んでいた。【田中将隆】
カセット・ケースに書いてあったアルバム名らしきものを調べても該当せず、曲名も違っていたので(笑)、カセットデッキを探し出してスマホで曲探すアプリ使ってやっと見つけました。
Air Supply - This Heart Belongs to Me
昔からこの曲と、「燃えない心」の2曲が特にお気に入りです。
後は、この曲が入っているCDを物色して完了です。
はぁ、スッキリ。
●Playback.fm
島村楽器さんのつぶやきで知ったのですが、面白いので丸パクリしつつお知らせします。
月・日・年をクリックしてFind #1 Songをポチっとな。
いや~、まさかアノ曲が私の誕生した瞬間に流行っていたとは・・・
